こんにちは、タコです。
先日、家族と話をしている中で、
僕の家族が、職場でハラスメントを受けているのでは?
と心配になることがありました。
しかし、当の本人(僕の家族)は、その人とは仲がいいからハラスメントにはならない、というスタンスでいるようでした。
また、ぼくの家族に向けたやや過激な発言も、その人のキャラクターだから許される、とのこと。
相手が不快に思えばそれはハラスメントになる、という知識があったので、僕の家族が不快に思っていないのであれば、それは確かにハラスメントにはならないか、と考えました。
一方で、はたしてこれでいいのだろうか、という疑問もわいてきました。
そこで、いろいろと調べてみたら、このような記事を発見しました。
この記事によれば、不快かどうかの主観のみならず、平均的な労働者の感じ方(客観)で判断することが重要だそうで。
「相手が不快に思えばハラスメント」という誤解は、行為の相手方の主観を問題にすることで、かえって上司や同僚が注意・指摘しづらくなり、ハラスメントが放置されるという問題と、相手方がどう受け止めるかわからないという不安から職場のコミュニケーション不全が生じ、不信感と軋轢の原因になるという問題を引き起こしています。
僕の家族がまったく問題でないとしているのに、なぜ、僕はこんなにも落ち着かないのか、自分の頭を整理するためにも今日の記事を書いています。
落ち着かない理由として考えられることとして、以下のものがあげられます。
①エスカレートしてしまわないかの心配
たとえ仲が良かったとしても、過激な発言が職場内で容認され続けていると、どんどんエスカレートしていってしまわないかなあ、と心配です。
ましてや職場ということもあり、不快に思った時でも相手によっては注意しづらいとか、そのような忖度が生じてしまう可能性があります。
今後、万が一にも家族が傷つくことがないように、職場での発言は気をつけてもらいたいなあと願うばかりです。
②キャラクターで判断されることの恐ろしさ
その方が僕の家族に放った発言はなかなかのものでした(僕の主観)。
幸いにも僕の家族が傷つくことはありませんでしたが、聞く人によっては傷つくと思います。
でも、僕の家族は傷つくことはなかったし、その人はキャラ的にオッケーなのだという評価です。
これはつまり、その発言をする人のキャラクター、という主観ばかりで、ハラスメントか否かが選択されているような状態だと思います。
ということは、主観ばかりで判断してしまうと、仮に僕のことをすごく嫌いな人がいたとして、どんなに気をつけて発言していたとしても、ハラスメントで訴えられてしまう可能性があります。
だからこそ、先ほど述べた「平均的な労働者の感じ方」という基準は、本当に大事だなと感じております。
③ハラスメント被害にあって苦しんだ人を見てきたから
職業柄、これまでの仕事の中で、ハラスメントの被害にあってしまった方の相談にのることが何度かありました。
その方たちの苦悩を聞いてきたからこそ、今回の件に敏感になっている、というのはもちろんあると思います。
④ハラスメントを嫌だと思っているから
僕自身、男なんだから○○しなさい!と言われて育ってきました。
男なんだから~という言葉が、時期によっては本当にきついこともありました。
そのせいか、その類の言葉をはじめとした、ハラスメント全般に、もしかしたら必要以上に敏感なところがあるかもしれません。
③と④に関しては僕自身の問題なので、僕自身でコントロールしていく必要があります。
一方で、①と②に関しては、組織や社会全体で考えていくべき問題であるとも思っています。
家族が必要と感じていない以上は何もできませんが、こうしてブログに書くことにより、少し頭が整理されました。
ハラスメントを気にしすぎると、職場の同僚と良好な関係を築きにくい、という意見があることは分かっています。
その一方で、同僚に過激な発言を軽くしてしまう・言われても平気、という環境が少し恐ろしくもあります。
たとえ言われているその人が平気であっても、その人の周囲が傷つく恐れがあることを、今回の件から学びました。
同じような意見、全く異なる意見、ぜひコメントでお待ちしております。
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