最初はグー、ジャン、ケン、ポンッ!!
じゃんけんで出せるのはグーかチョキかパーのどれか。
そして、勝敗は、勝つか、負けるか、引き分けかのいずれかです。
じゃんけんってシンプルでいいですよね。シンプルだから、小難しいことが苦手な私にはしっくりきて好きです。
たまーに。
世の中もじゃんけんみたいに分かりやすいといいのになあ。
と思うことがあります。
世の中、はっきりさせずに、曖昧な答えを求められることって結構ありませんか?
・なんでも白黒させようとすんな
・今は答えを出さないで泳がせておこう
・良いとか悪いとか、そういう話ではない
・好きっていうか、嫌いっていうか、なんというか
・言わなくてもわかると思ってた
あー、苦手だなあ!!曖昧って苦手だなあ!!!もっとハッキリしてくれよ〜って思っちゃうんだよなあ。。。
曖昧さが苦手である私とは打って変わって、今の職場の上司に、この「曖昧さ」のプロがいます。
今日は、その「曖昧さ」のプロを紹介したいと思います。
なんでも曖昧にして、全て丸く収める
そのプロは、その場をまとめることが本当に上手です。ここでの「場」とは、会議だったり人間関係を指します。
その人の、会議での立ち振る舞い方を紹介します。
その人は、会議に出席しているAさん、Bさん、Cさんの全ての意見を網羅して、議題の解決策を私たちに提案します。
会議によってはAさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんと人数が多くなりますが、たとえ人数が多くなったとしても、全ての人の意見を網羅して、解決策を提案されます。
なので、提案される解決策は、とても「曖昧」なものとなり、どのように動いたら良いか、結局のところ分からないことがあります。
えっ、それだとダメじゃない?
それがね、そうでもないんだよ。
不思議なことに、どのように動いたら良いかがハッキリしなくとも、物事がうまい具合に運びます。
私なりにその理由を考えたのですが、おそらくは、全員の意見が網羅されているので、その場にいる全員がその議題の解決に向けて、なんとかしなくてはと躍起になるからだと思います。
案や指示は別にハッキリさせなくとも、たとえ曖昧なままでもうまくいく。
そのようなことを、「曖昧さのプロ」から学ばせてもらっている気がします。
どちらにもつかないという「曖昧さ」
同じメンバーで長時間生活を共にしていると、喧嘩とまではいかないまでも、人間関係のいざこざは生じてきます。
これは確実にAさんが悪い!
これは絶対にBさんの言い分が正しい!
そうしたいざこざを目の前に、私の頭の中にはつい、そんなことが浮かんでしまいます。
そうしたAさん、Bさんを前に、曖昧さのプロは、どちらにも加担することをしません。
どちらの意見もちゃんと聞きながら、AさんとBさんの意見の折衷案を探ります。
それって、絶対に悪い人でも許されちゃうってこと?
許す・許さないではないと思うけど、でも、許されているように見える時はあるね
折衷案なので、どちらも100%満足というわけではなさそうです。
正直、こちらの頭の中で良い・悪いが決まっている状態の中での「曖昧さ」は、なんだか少し、気持ち悪いものがあります。
どうしてあのAさんが許されたんだろう、とか、これではBさんがかわいそうだ、とか、そんなことを考えると、関係のない私まで少し胸が苦しくなる時があります。
しかし、そうした「曖昧さ」は、結局のところ、組織を崩壊させずに済んでいるような気がします。Aさんも、Bさんも、曖昧さが続くといつの間にかその「曖昧さ」に慣れていくようで、何事もなかったかのように仕事をしています。
曖昧さに「耐える」ということ
この、物事をハッキリとさせたがる今の世の中で、日々、こうした「曖昧さ」触れられていることは、とても良い経験だなと思っています。
特に私の場合、何事も白黒ハッキリさせたいという癖が少し強くあるので、「曖昧さ」に耐えてみる、という経験は、また新しい一歩を踏み出せそうな気がして楽しみではあります。
・・・とは言うものの、曖昧さは、やっぱり私にとっては辛いことの方が多いです。
・曖昧な人間関係
・曖昧な指示
・曖昧なルール
どれもこれも、まだまだ苦手です。一方で、心理の道を続ける以上は、この曖昧さに向き合っていかなければなりません。
というのも、これはお世話になった心理の先生が口にしていたことですが、「心理の仕事をするということは、曖昧さに飛び込むこと」なのだそうです。
確かに、心という曖昧なものと向き合っていきますし、患者さんが常に明確なものを求めているとも限りません。
この先も苦戦することが多くありそうですが、曖昧さ、と上手に付き合っていきたいと思います。
あなたの1ポチが、心理職とタコをHappyにします🙇
お好きな方のバナーをポチってもらえると、とても嬉しいです!↓↓↓