こんにちは、タコです。
今日は自分の黒歴史について書きたいと思います。
黒歴史とは、自分の中でできれば無かったことにしたい過去のことです。
それではいってみましょう。
まじで喋れなかった高校時代
高校時代、異性と全くといっていいほど喋ることができなかった。
どのくらい喋れなかったかというと、「おはよう」や「ありがとう」という言葉さえ、異性を前には発せないというそんなレベル。
覚えているエピソードがある。
その時、私の席は一番後ろにあった。なんの授業だったかは忘れたけど、先生が一番前の生徒にプリントを渡して、後ろに配るように指示をした。
ところが、一番後ろの私までプリントが回ってくることはなく、前の席で止まってしまった。なんてことはない。単純に先生がプリントの枚数を間違えただけだ。
私の前の席の女子は、私に、
「プリントもらってくるね」
と声をかけて立ち上がり、先生のもとへ行きました。そのさりげなさに、カッコイイ、と思った。
そして先生からプリントをもらい、私に対して、
「はい」
と渡してきた。しかし私は異性に挨拶すらできない男。うんともすんとも答えることなく、プリントに手を伸ばしたその時、プリントがさっと彼女の方に引っ込んだ。
えっ?という顔をすると、
「いやいや、お礼は?」
と返された。その様子を、周辺の生徒が面白がって見ていた。果たしてタコは、ありがとうが言えるのか、そんな期待に満ちた周囲の目を今でもありありと思い出すことができる。
「ねえ、お礼」
そう、さらに促され、僕はようやく声に出した。
「・・・がと」
ありがとうのうち、ありが、が音にならなかった。私たちの様子を面白がって見ていた近くの席の女子が「がと、って!」と大きな声を出して周囲を笑わせていた。
「はい、どうぞ」
幸いだったのは、プリントを取りに行ってくれた女子が、私の「・・・がと」をお礼を言えたものとしてカウントしてくれたことだった。
もし「ありがとう」と正しくはっきりと言えるまでプリントを貰えていなかったら、私は間違いなく女性不審になっていたと思う。
その日の授業はまるで頭に入ってこなかった。
悔しさと悲しさと、そして馬鹿みたいと思われるかもしれないが、たとえあんなやり取りでも、女子と喋れたという高揚感とが入り混じって、感情がぐちゃぐちゃだった。
休み時間が怖くて楽しみだった。さっきの「・・・がと」がまたいじられるのではないかという怖さと、そして期待。もしいじられたら、なんと返せばいいんだろう、あだ名が「がと」になったらどうしよう。とにかくあーだこーだ考えているうちに、あっという間に授業は終わった。
いよいよ休み時間。私はいつものように疲れて寝たふりを決め込む。そしてしっかりと周囲の音に耳を傾ける。
しかし、「・・・がと」が女子の間で話題になることはもう二度となかった。これをきっかけに女子と喋れるようになるかもと少しでも期待した自分が惨めに思えた。
その日の放課後。今日の出来事をみていた同級生(男子)数人が私のところに来て、
「気にするなよ」
と肩に手を置いてくれた。
誰も私の「・・・がと」を咎める者はいなかった。そして、女子と喋れるようになるための指南、みたいなことを押し付けてくるお節介な奴もいなかった。
その優しさがすごく嬉しかったけど、めっちゃ泣きたくなった。幸いなことに、女子と喋れない私は、男子とはたくさん喋ることができた。
以来、私は高校3年間を、ほとんど異性と喋ることなく過ごして終わった。
いかがでしたでしょうか。
今日は自分の黒歴史について書いてみました。
黒歴史はたくさん持っていますので、ご要望があればまた別の歴史を書いていきたいと思います。
こんなしょうもないエピソードを最後まで読んでいただきありがとうございました。
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